古典の日フォーラムまでの、ちょっとした話
ロバの耳
フォーラムをつくっていると、ふと立ち止まることがあります。
人から人へ。
時代から時代へ。
いったい、何が伝わっていくのだろう。
そんな小さな発見を、「ロバの耳」にそっと書いてみます。
その一
島文楽の人形たちの秘密
島文楽の人形たちには、長いあいだ、誰にも語らずにきた秘密があるのかもしれません。
その人形たちは、どんな人を見てきたのでしょう。
どんな声を聞き、どんな思いを、その身体に受け止めてきたのでしょう。
言いたくて、言いたくて仕方のないことが、人形たちにもあるのかもしれません。
けれど、人形は自分では語れない。
今、その人形たちを若い人たちが手に取ります。
若い手が人形を動かし、人形の身体に残されたものを感じ取り、私たちに伝えようとしている。
人形から、若い人へ。
若い人から、私たちへ。
その間に、何が交わされるのでしょう。
島文楽の人形たちが知っている秘密を、少しだけ、聞いてみたいと思っています。
その二
箏の音は、誰から誰へ
一宮西高等学校箏曲部の皆さん。
そして、その師である長瀬あずささん。
楽譜に書かれていることだけでは、伝わらないものがあります。
音の出し方。
間。
呼吸。
そして、音楽に向かう姿。
先生から弟子へ。
受け取ったものを、今度は自分の身体で音にして、次の人へ渡していく。
教えることと、教わること。
その間を、音が行き来していく。
そこには、言葉だけではない「交感」があるように思います。
その三
高木和子先生――遠い時代の人から、私たちへ
第2回「古典の日フォーラム 美しき愛知」で、高木和子先生にご講演いただきました。
そのとき先生は、『源氏物語』全五十四帖を、驚くほどのスピードとエネルギーで語られました。
お話を聴いているうちに、時間がどんどん過ぎていく。
講演を終えたお客様からも、
「あっという間の時間だった」
という声が聞かれました。
難しく感じられがちな古典を、こんなにも生き生きと、楽しく味わうことができる。
私は、そのことにとても感銘を受けました。
そして、もう一度、高木先生のお話を聴きたいと思いました。
今回、高木先生にお話しいただくのは、二条院讃岐と、その父・源頼政です。
源頼政は、武士として生きながら、和歌にも秀で、朝廷の世界でも生きた人でした。
武をもって生きる人でありながら、和歌を詠み、古典の教養を身につけていた。
その頼政と、娘・二条院讃岐。
二人の間には、どんな言葉が交わされていたのでしょう。
古典を読んでいると、遠い昔の人の言葉が、ふっと今の私たちのところまで届いてくることがあります。
高木先生のお話を通して、今回はその声に耳を澄ませてみたいと思っています。
その四
頼政と、一頭の馬
『平家物語』には、頼政が平家に対する思いを強めていく一つの出来事として、息子・仲綱と名馬「木の下」をめぐる場面が描かれています。
平宗盛に求められ、頼政は息子・仲綱に、その大切な馬を差し出させます。
ところが宗盛は、その馬に「仲綱」という名をつけ、仲綱本人を馬になぞらえて辱めます。
そのことを知った頼政は、何を思ったのでしょう。
もちろん、頼政の挙兵を「我が子のため」とだけ考えることはできません。
けれども、我が子が受けた屈辱を目の当たりにしたことは、平家の支配のあり方に対する思いを、さらに深くしたのではないでしょうか。
『平家物語』を読むとき、私はそこに、頼政という人の深いまなざしと、人への愛情を感じます。
その後、源頼朝が立ち上がり、武士の時代が大きく動いていきます。
頼政の挙兵そのものが、頼朝の挙兵を直接生んだということではありません。
けれど、一人の人間が投じた一石は、その人の手を離れたあとも、後の人々の記憶の中に残っていくことがあります。
『平家物語』を読みながら、私は頼政という人の中に、何かを感じます。
その五
父と子。言葉では伝えられないもの
武田志房さんと、武田文志さん。
父と子であり、師と弟子でもあります。
能には、言葉だけでは伝えられないものがあります。
謡。
舞。
囃子。
そして身体。
見て、聴いて、感じて、
また自分の身体でやってみる。
そうしているうちに、いつの間にか受け取っているものがあります。
豊橋魚町能楽保存会の皆様が大切に守ってこられた「能面」・「装束」、ここには、お殿様と魚町のあたたかい思いも受け継がれています。つなぐことは身体を必要とし、そして心から心への受け渡しでなければ守り伝えられないことなのです。そこには多くの「物語」がたくさんこれも受け継がれてあるはずです。
なぜ受け継いできたのでしょうか。本当に大変なことなのに。
そこにあるのは、面・装束という「もの」だけではありません。
それを守り、使い、次へ渡してきた人たちの時間があるのです。
そこで、父から子へ。
師から弟子へ。深くて強いもののの、言葉では伝えられないものが、身体を通して伝わっていきます。
高木先生のお話のあとには、観世流の舞囃子「頼政」。
言葉で語られた頼政が、今度は謡と舞、囃子、そして一人の演者の身体を通して立ち現れます。
言葉から、身体へ。
遠い時代の人から、今を生きる私たちへ。
その間に何が伝わってくるのか。
私も、会場で感じてみたいと思っています。
その六
渡されたもの
忘れられない「渡されたもの」があります。
十二代目市川團十郎先生から、
「皆さんでつないでください」
そう言って渡されたものが「古典の日」。
この歩みも、19年目を迎えます。来年は20年となります。
受け取ったものを、そのまま保存するだけではなく、
人と人が出会い、触れ合い、
それぞれの身体や心を通して、
また次の人へ渡していく。
その間に、新しいものが生まれることもあります。
ただ「伝える」というだけではない。
そこに、文化をつないでいく一つの姿があるように思っています。
その七
美しき愛知
一宮西高等学校の箏。
豊橋魚町能楽保存会が守ってきた能面。
島文楽の人形たち。
そして、そこに関わる人たち。
こうして見ていると、「美しき愛知」というのは、きれいなものを並べることではないのだと思います。
ここに住んでいるから、
ふと出会うものがある。
知らなかったことを知って、
ちょっと面白いと思う。
そこから、
「じゃあ、次は何をしてみようか」
と誰かと話してみる。この子供のような遊び方
そんなことが、いつの間にか学びになっている。
遊んでいるようで、学んでいる。
学んでいるようで、また遊んでいる。
そんな小さな学びの場が、ここ愛知にはある。
それを、皆さんと一緒に見つけていけたらと思っています。